特別になりたいという呪い
変わってるね、と言われることが多かった。
将来、なにかすごいことをしそう、と言われた。私が私であるためには、変わっていないといけないんだと思った。
変わっているということを、特別な人と置き換えて捉えていた。
唯一好きな同期で、友達が、転職するらしい。
何倍もの倍率の試験を突破し、今より良い環境で良い給料で働くことにしたらしい。
彼女のことが、初めて会った時から好きだった。顔が可愛い。そして、おとなしい。
最初はそれで、好きだった。
一緒に話していて、頭が良いところ
一緒に仕事をしていて、仕事が好きなところ
も好きになった。
昔、会社の先輩に「あなたのいう、同性に対する好きって、自分より下と判断した人のことでしょ」と指摘されたことがある。
すぐに否定したけれど、ずっと引っかかっている。
どちらかといえば、逆だと思っていた。
自分より上だと判断した人に対して、屈服、尊敬の意味で好き、と感じているのだと思っていた。
でも、私は彼女がおとなしくない、私に優しくない、女の子であった場合、好きと感じていただろうか。
彼女が、私と仲良くしてくれる、従順な女の子だから好きと感じていたのだろうか。
そして、そこに彼女が容姿端麗、成績優秀、仕事ができる、ことが加わり、
そんな彼女を「所有」しているような感覚になってはいなかっただろうか。
私は彼女と友達である、自分が好き、を否定出来ない。
私が彼女のように可愛くもなく頭も良くなく仕事も好きではなく、ダメな人だから、特別じゃなく生きているから、特別を欲してしまう。
私にとっての特別は彼女だった。
所有が対等ではないと思う。
だから、明らかに私とは違う選択、会社を離れてしまうことが悲しかった。
今日、その感覚を後輩に伝えようとしたところ、
私「友達が、会社を離れて〇〇に就職するらしい、悲しい」
後輩「へー、すごいですね。悲しいなら後おって〇〇受ければいいじゃないですか」
私「私は〇〇に興味ない。そういうことじゃなく、彼女が優秀であることが寂しい」
後輩「先輩…意味分かんないしめんどくさいですね」
と言われてしまった。悲しい。
どうやら、私はとても面倒くさい性格らしい。
他人の力をかりないと、特別になれないみたいだ。はあ。ずるいなー。
変わっているのか、変わったふりをしているのか、どっちでもいいけどただ、特別になりたかったんです。
特別じゃない人生に、肯定を。
普通にしてくれ。