中学の頃、BUMPではなくてサンボマスターを聞いていたら

私は、中学の頃、友達がいなかったので、

BUMPをよく聞いていました。

 

これだけで、状況が理解できる人のみ、仲良くやっていきましょうすいません。

 

そんな私も20を過ぎた今、

最近サンボマスターをよく聞きます。

 

サンボマスターの良さって、年を重ねて、

私はちょうど「今」分かるようになったな

と思います。

 

15歳の頃の私は、名前とあのビジュアルは知っていても、まったく興味がなかった。

そもそも聞こうと思わなかったのですよね。

 

もしBUMPではなく、サンボマスターを聞いていたら。

私の人生は変わっていたりしたのかな。

 

でもたぶん、あの頃の私にはまっすぐすぎるあの歌は届かなかったのだと思う。

高橋優とかも同じ意味で、届かなかっただろうな。

 

サンボマスターってすげーよな。

会ったこともない、結弦くんに、なんてファンレター書こうか悩みながら仕事して、子供にフィギュア習わせるにはお金がめっちゃいるなとか考えたり、日々エロマンガ読むのが趣味な私にも

「君なら出来るんだどんな事もっ」

ってすごい熱量で叫んでくれるんだぜ。

 

なんで、こんなに信じてくれるんだろうって思って、泣けてしまったのでした。

 

信じるなよ私なんか。無責任だぞ!そんな言葉簡単に使うなよ!と思っても、

でもいつまでのサンボマスターが歌ってくれるから、私も私を信じなきゃなと思う夜でした。

それで勝てるならよいのにね本当

すごく、いらっとしたことがあるんですが、

 
それが書けない!
一生書けない!
 
ので、 
例えて言ってみる。
 
文化祭の役員(文化祭盛り上げ係みたいな有志がいて、イベントやら運営やらをいろいろ企画実行していた)に、
 
「文化祭の仕事あるからクラスの掃除できない」
 
って言われる感じです。(多少偏見の目で見てます)
 
(有志でやる趣味。つまりはアフター5。それを、義務である掃除より優先させるのか。そしてそれが正しいかのような上から目線はなんな…)
 
と思ってたわけなのですが。
まあ、つまりめちゃくちゃ嫌だったんですよ。
 
ほかに例えるとすれば、
 
たいして仲良くない集まりの飲み会の誘い断った時に、信じられない!?どうして〜みたいな大袈裟な女の顔とか、
 
仲良い人からのマルチ商法断った時の、え、まじか、やらないのかこいつありえねーみたいな感じとか、
 
全員が絶対にその場を楽しめるという前提のもと進められる話の、全員に「私」は含まれていないことに気づいて欲しい!!!
 
慎ましく、生きさせてくれ。
なんなんだ!私にはYESとGOしかないのか!
 
欲しがらない、必要以上求めない、
ブスはブスなりに表に出るなと思春期に教えてくれたサッカー少年、テニス少女なクラスメイト。
 
どうせ最終的にはSNS
『あいつ、まじのり悪いんだけどww他の人の迷惑も考えて欲しいよねー本当、同級生じゃないんじゃね?』
 
とかとか、書かれて6ファボ、10リツイート位の、そこそこ私を特定できるコミュニティに叩かれる。
 
というような種類の
イライラ→悲しみなんですよ。
 
 
わたしは、
 
自分の近くの人だけ幸せなら、というか
私がいなくても幸せな人間に私は必要ないから自ら関わる気がない。
 
ああ、私こそきっと自己顕示欲の塊だ。
私じゃなくてもいい、代わりがきく誰かとして存在したくないんだ。
 
書きなぐってちょっとすっきり
書いて書いて、
それで勝てるなら良いのに。

結弦くんの神は結弦くん。

羽生結弦くんが大好き。

 

今日の世界選手権のあとに、慰めてあげたい(寧ろ貰いたい)、一度も私の名前なんて呼ばなくていいし、私のこと認知しなくていいから、「がんばった、最高だった」と言わせてほしいと願う種類の好きです。

 

あと、怖くて検索できないけれど、「羽生くん BL」とかで検索したくなる好き。

(こんなこといって、殺されたりしないか不安だ)

 

好きに理由はないと思っていたけど、この羽生結弦くんが大好きなのには説明できるかもしれない。

 

私は、自分の価値を他人に依存する。

 

でも、たまに

「あぁこの人は、圧倒的な自信を持っているんだ」という人に出会う。

 

評価されること、順位をつけられること、それから逃げていない。恐れるのはそこではなくて、自分自身を裏切ったことをしていないか。というところな気がする。

 

私は運動がきらいで、一度もきちんと取り組んだことがない。

他人に評価されるのが嫌だから、評価されない自分が嫌いだから、

そこから逃げてしまう。

自分自身で自分を信じてあげられない。

ただ、守ってあげたい。

 

一番自分を信じてる人が、自分。

そんな人が羨ましくて大好きで大嫌いだ。

「神様、助けてください」なんて、必要がないんだ。自分の中に神さまを持っているから。

 

「結弦くんの神は結弦くん」

 

そういう人は強い。(そして、性格がちょっと悪い…気がする)

超絶ナルシストに生きられる。

生きるからね。

 

そう、私はそんな羽生結弦くん(妄想)がめちゃくちゃ好きなのだ。

居場所

自分の居場所を確保するのに必死。
人生居場所取りゲーム説。
 

ここ一年くらい、異業種交流会(知り合いの知り合いの飲み会?みたいなもの?)によく行っていたのだけど、

 

相手の顔も年齢も職業も分からない。
毎回、「初めまして」な人ばかり。
 
最初は誘ってくれた人が一緒にいてくれたのだけど、はぐれて一人になるときもあって。
 
私を一人にしないで、私を一人にしないで。
私は人を惹きつけられるような人じゃない。
 
せめて、「性別」と「若さ」が理由でいいからみんな構ってくれと思ってしまうのだけど
そこは恋愛禁止、連絡先交換禁止な集まりだったのでそれも無理。私は人を惹きつけられるような女でもない。
 
それを教えられてるようで。
居心地が悪かった。
 
(3回ばかりいったのだけど、どうやらニュー〇ェイズの方々が多くて、結局距離をとってしまった。あぁ、居場所を一つ作る必要がなくなったな、と思った)
 
話は変わって、半年前にとある本屋さんでインターンをしていた。
そこには、シフトという形態で私の居場所があった。
 
業務をこなす、人と話す、その場所で私は満たされていたのだろうか。うーん。
 
「居場所が増えれば、生きやすいのか」
 
家と会社、家と学校、自分の席があれば生きやすいと思っていたけれど。
 
私にとっての居場所は私を追い詰めてはいないだろうか。
居るべき場所を定めることは、窮屈ではないだろうか。
 
居場所とはなんだろう。
名前を呼んでもらえること。
必要とされること。構ってもらえること。
可愛がられること。
ただそこに居て許される場所があること。
 
ただ一人にでも必要とされたい。
認めてもらいたい。
 
私にとっての居場所は、誰かに必要とされる場所のことなのかもしれないな。

全裸の神

たまに、全裸の神がおりてきて

 
今日は全裸で寝なさいーというので、
やったー!今日は全裸で寝るぞって
布団に入るのだけど、
 
この前、
全裸の朝に地震が起きて
ああ、服着なきゃ逃げられないなあと
服を這いながら探して
ああ、もしかしたら
全裸のまま死ぬのかなあとか
死んだ原因が全裸であったため
服を探していたとか
発見された時にこのみすぼらしい私の裸体が
晒されるのかとか…
 
なんだか嫌だなあと思ってしまったよ
 
全裸で寝るには覚悟が必要なのですね、神様。