しんどさの歌

髪が太くて、硬いので

扱いにくくてしんどい。

肌が弱くてすぐ荒れるのでしんどい。

ホルモンバランスが悪くて

生理不順なのがしんどい。

可愛くなくてしんどい。

 

親が仲悪くてしんどい。

親と仲悪くてしんどい。

 

もう、26歳になっちゃってさ。

 

しんどいよ。

会社を辞めます。まで、長かった。

会社を辞めました。

 

正確には、まだだけど。

有給消化中なので、

今は会社に行ってない状態。

 

最後の方はずっと半休とかして、

有給0時間を勝ち取ったぜ、いぇい。

 

転職することにしました。

来年度からまた働きます。いぇい。

 

新卒から約6年間勤めていました。

小学校だね。高専より長い期間だね。

 

部署は1度も変わらなかったけど、

社宅の老朽化などで、何度か引っ越したし、ちなみに恋人も変わった。

 

長野→横浜

横浜→豊島

豊島→練馬

練馬→埼玉

 

と、4回の引越しをすることになります。

引越し大変だけど、いろんなとこに住めるのは楽しい。

 

なんか、正直、ずっと辞めたかった。

入社する前から、いずれ辞めるだろうな、

と思っていたし、入社後もそれは変わらなかったな。

 

でも、どうしたら、何をしたらいいのか全然分からなくてずっとしんどかった。

 

地元に帰りたいし、違う仕事がしたいし、休みは欲しいし、安定したいし、と思って、何も決まらなくて、すごくしんどかった。

 

その中で出会った人も、お別れした人もたくさんいるけれど、ずっと悩んで決められないなら今後も同じような方向で悩んでも決められないんだなあ、と思って、

 

好きなこと、出来ること

 

で、考えて、決まった感じです。

 

絶対辞められない!と何処かで思ってたので、辞められて良かったです。本当に。

それか、急にバックれるタイプの辞め方か、病欠になるみたいな辞め方をすると思って、自分が信用ならなかったので、円満退社できて良かったです。本当に。

 

人に言われて、悲しかったのが、

 

辞めたい〜ってずっと悩んで決断しないでいると、周りの人が呆れて対処出来なくなって、どんどん、いなくなっちゃうよ?

 

でした。

思い当たる節が有りすぎて、辛かったです。

他人を見ててもそう思うし。

 

とりあえず、私は有給を満喫するぞ

 

 

 

なにがなんだか。

私は都内に住んでいるが、

私の実家は長野県長野市である。

 

台風19号上陸前、

10/11(金)の私と母、姉のライン。

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(名前の消し方がよくわからなくて、大変だった、あと父はラインやってない)

 

母(長野市)、姉(千曲市)はどちらかというと、東京の私を心配していた。

私もそうだけれど、長野に甚大な被害が出るとこの時点で思っていなかった、のだと思う。

 

これは皆が既に言っていることだけど、長野は山に囲まれていて海もないので、災害の影響を受けにくい土地と思われていたような気がする。

 

◎10/12日(土)の夜。

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千曲川ライブカメラの映像を、定期的にみんなで確認していた。段々と水位があがり、長野市千曲市上田市あたりは浸水してる区域が既にあったように思う。

 

東京はというと、私の住んでいる地域に関してはピークも過ぎていて、「もう大丈夫かな」という感じだった。

 

この後、実家近くの村山橋付近の千曲川ライブカメラを確認し、危なくなったらすぐ避難して欲しいといって、私は寝てしまった。

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60歳前後の、情報弱者(と姉妹で疑っている)両親に情報を届けないといけない!という気持ちはあったのだが、まー、大丈夫だろという気持ちがあったようで、寝てしまった。

 

◎10/13(日)の朝

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9時に起床。大量のラインが来ていた。

見る前から、あそこで寝るべきではなかったかな、と思ったりした。(後々、姉にあそこで寝るなんて信じられない!といわれたごめんなさい)

 

テレビニュースをつけたが、東京のニュースばかりで、長野市の状況はいまいちわからない。

 

して、ツイッターで情報検索すると、

私の知ってる町が浸水していた。

 

よくラーメンを食べに行った現:男のDVDがツイッターのトレンドにあがっていた。

大嫌いだったバスケの練習をした、小学校や、嫌いだったダンス教室をやってた中学校が浸水していた。

え、なにこれ。

 

とりあえず、父と母は既に避難しており(私が寝ている間に)、姉の住んでる地域はそこまで影響はなかったみたいだったので安心した。

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母が、自分がこんな状況になると思わなかった、といった。

私も姉も、こんなことになると思わなかったといった。

なんだか、よくある言葉だけど、本当にそう思った。

 

その後、幸い実家の方はすぐ水が引いたので、

両親は家に戻り生活してる。

 

今日はなんというか、もうよくわからないが、しんどくて眠れない夜だ。

水はやがて引くだろうし、道路の冠水は治るだろうし、しばらくしたら復旧という形になっていくのだろう。

それでも、離れた場所で大好きな町が沈んでいく様を見ているのは泣いてしまうものがある。

離れているから、いまいち状況が掴めない悔しさもある。今、長野はどうなっていますか。みんな大丈夫なのでしょうか。

 

いつもこういう災害のニュースはやってて、それをずっと人ごとみたいに思ってた自分は馬鹿みたいだなあ、とか、なんでこんなに私の実家近くテレビで写ってるんだろうかとか、そんなことばっかり思うよ。

 

少しでも早く復旧して、少しでも被害が少なくありますように。離れていてごめんね。今更だけど本当に愛しているよ。

 

最後に、同じような仕事をしている立場からも、かっこよくて尊い長野県防災さんを。

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生涯の味方、愛

本当は転職活動をしたり、するべきなんだけれど全くやる気がでない。

 

やる必要がないことなのか?

と自分を納得させて、バチェラー2の後日談的な番組をアマゾンプライムで見ていたら、

「生涯の味方」という言葉がでてきた。

 

番組としては、「あなたの生涯の味方です」といったようなプロポーズの意味合いで使われていた。

 

こんなに救われる言葉なかなかない。

泣くような番組じゃないと思っていたのだけど、欲しい言葉すぎて泣いちゃったよ。

 

正しい、悪いを置いておいて、すぐ味方できる

のなんか、もう愛だし、そうなんだよね。

 

いろんなことを思い出したりしたら、聞きたくなっちゃったよ。

特別になりたいという呪い

変わってるね、と言われることが多かった。

将来、なにかすごいことをしそう、と言われた。私が私であるためには、変わっていないといけないんだと思った。

 

変わっているということを、特別な人と置き換えて捉えていた。

 

唯一好きな同期で、友達が、転職するらしい。

何倍もの倍率の試験を突破し、今より良い環境で良い給料で働くことにしたらしい。

 

彼女のことが、初めて会った時から好きだった。顔が可愛い。そして、おとなしい。

最初はそれで、好きだった。

 

一緒に話していて、頭が良いところ

一緒に仕事をしていて、仕事が好きなところ

も好きになった。

 

昔、会社の先輩に「あなたのいう、同性に対する好きって、自分より下と判断した人のことでしょ」と指摘されたことがある。

すぐに否定したけれど、ずっと引っかかっている。

 

どちらかといえば、逆だと思っていた。

自分より上だと判断した人に対して、屈服、尊敬の意味で好き、と感じているのだと思っていた。

 

でも、私は彼女がおとなしくない、私に優しくない、女の子であった場合、好きと感じていただろうか。

 

彼女が、私と仲良くしてくれる、従順な女の子だから好きと感じていたのだろうか。

そして、そこに彼女が容姿端麗、成績優秀、仕事ができる、ことが加わり、

そんな彼女を「所有」しているような感覚になってはいなかっただろうか。

 

私は彼女と友達である、自分が好き、を否定出来ない。

 

私が彼女のように可愛くもなく頭も良くなく仕事も好きではなく、ダメな人だから、特別じゃなく生きているから、特別を欲してしまう。

私にとっての特別は彼女だった。

 

所有が対等ではないと思う。

 

だから、明らかに私とは違う選択、会社を離れてしまうことが悲しかった。

 

今日、その感覚を後輩に伝えようとしたところ、

 

私「友達が、会社を離れて〇〇に就職するらしい、悲しい」

後輩「へー、すごいですね。悲しいなら後おって〇〇受ければいいじゃないですか」

私「私は〇〇に興味ない。そういうことじゃなく、彼女が優秀であることが寂しい」

後輩「先輩…意味分かんないしめんどくさいですね」

 

と言われてしまった。悲しい。

 

どうやら、私はとても面倒くさい性格らしい。

他人の力をかりないと、特別になれないみたいだ。はあ。ずるいなー。

 

変わっているのか、変わったふりをしているのか、どっちでもいいけどただ、特別になりたかったんです。

 

特別じゃない人生に、肯定を。

普通にしてくれ。

夜眠れない大丈夫さ加減

眠れない夜に無理矢理寝ようと

悶々とするのは

無駄な抵抗なんじゃないか

 

最近、眠れない

 

夜眠れないのは最近だけど、

夜以外の時間にほとんど眠れなくなったのは

三年くらい前だと思う

 

昼寝ができない、うたた寝ができない、

特に1人ではできない

 

三年くらい前に、深夜に家に不法侵入されて、起きたら一人暮らしの部屋に知らん人がいたことがあったんだけど、多分それから。

 

正しい恐怖の感じ方とか、大丈夫の言葉の意味とか平均的なトラウマになりやすさとか、そういうものが分からないから、私は気にしてないよ、大丈夫だよ、って思ってるって、思ってるんたけど、

 

振り返ると、そんなに大丈夫ではない記憶なのかもしれない。

 

寝ること、意識がないことが私にとって怖いこと、という認識になってしまった部分があるんだと思う。

 

たいへんなものを抱えてしまったな…

 

に加えて、

最近夜眠れないである

 

仕事が嫌で?

恋人とうまくいかないから?

携帯依存症だから?

ひっくるめて

漠然とした将来への不安?

 

はー、だるいな夜

はやく寝てーよ

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第二ボタン

この前、学生時代の部活の飲み会があったのだけど、3ヶ月前くらいから
「4月29日あけて」
といわれ、先すぎて分からね、と思いながら、しっかり予定を書き込んで、無事当日を迎えた。
1番会いたくない人と会わないといけない予定だった。
 
当時は、男女8人くらいの部活構成だったのだけど、若い時期にそのような閉鎖的なグループにいると、勿論男女関係、風紀の乱れが勃発。
 
私たち仲良し、性器ついてませんよ!みたいな関係性に思っていても、結局、性は強し。
 
私もそんな恥ずかしいような懐かしいような記憶があり、
顔合わせにくいっという感情があって、でもこじらせたまま皆と一生会わないのは悲しいよなあと思っていた。
 
実際、私だけでなく、多分いろんなことが他の皆の中でもあって、昔のことは昔のことって、ちゃんと割り切っている、割り切ろうとしているのが、ああ大人になるってこういうことなのかなあ?と感じました。
 
あの時、振られたけど、「ああ、これは一生引きずって生きていかないといけないことだ」
と覚悟し、生き形見を貰った。
 
でも正直、きっと、
地元で過ごした学生生活より、
東京で働いた時間の方が、
色々な人との出会いと
価値観の変化と
成長と劣等感と容姿や学歴コンプレックスと
自信と経験値と…
圧倒的に勝っていて、
 
学生時代のことを、もうよく覚えていないことが多かったけど、たまに思い出そうとするくらいがちょうどいい距離感なのかもなと思って、嬉しかった。
 
綺麗に蓋をして綺麗なままとっておきたかったから。
 
多分、感情の隠し方を覚えたのかもしれないね。
 
私がおばあちゃんになって、本当にどうでもいいなって笑えるようになるといいなあ。
 
その頃まで、関係が続いて、性からも、お金からも、価値観の不一致も、いろいろなことから解放されて孫の成長が幸せで、本当に全てが許せるようになっていればいい。
 
最後に、私の愚痴をずっと聞いてくれた後輩から、
「でも、あなたが一番変わりましたよ。落ち着いているし自信があるようにみえますよ」と言われたことが最高だった!!
 
そして、化粧もしてない頃に出会った人たちとお酒を飲むのはやはりいいなと思ったのでした。